同性婚、性の多様性、性的マイノリティといった言葉を様々なところで目にする。
性の差異を超えた関係を社会として受容することが急務だというのである。事の重要性はよく分かる。しかしメディアによる情報化された言葉を通じてだけでは、手応えを感じながら考えることが難しいように思っていた。
そうしたなか、この数か月の間に性の問題を論じる興味深い著作が相次いで刊行された。古典から漫画まで比較文学の視点からジェンダー(性のありよう)の問題を考えた佐伯順子『男の絆の比較文化史』。
プロテスタントの牧師であり、自らもレズビアンである著者が、自身の経験はもとより現代思想、神学を統合した観点から女性の同性愛を論じた堀江有里の『
』。
自身もゲイで、東京・新宿のゲイ・コミュニティ(共同体)での経験をもとに書かれた砂川秀樹『
』の三冊である。
日常のことを打ち
「レズビアン」(女性同性愛者)、「アイデンティティ」(自己同一性)、「マイノリティ」(少数者)、こうした偏見を
街に集まった個は、いつの間にか場を作る。砂川がゲイ・コミュニティで発見したのは、「なじみ」の社会学ともいうべき構造だった。「なじみ」が生まれるときに地縁、血縁のつながりは必要ない。社会的な利害も穏やかに排除される。真に「なじみ」が育まれるところには常に、不可視な形で信頼と安心が随伴していることを著者は見逃さない。現代は人間関係がどこまでも広がろうとする時代だ。だが著者はこの本で、深まりの重要性を示唆している。
三人の著者はともに、特定の分野からだけ性の問題を語ることの危険を感じながら、既存の分野の枠を大きく超え出て論を展開している。情報化社会は世界を狭くしたが、その一方で、私たちは未知のものに対して容易に恐怖を抱くようになった。
哲学者の池田晶子は、分かろうとすることが現代における愛の始まりだと語った。三冊の本を読みながら書き手たちが静かに語りかけているのも池田がいう「愛」なのではないかと思った。